ネルソン水嶋さんの半生
1984年生まれ 2026/7/16作成 23項目
1984年
0歳
大阪市城東区鴫野に生まれる
3人兄妹の真ん中として誕生 2月14日生まれ(全員水瓶座の兄妹)。父はデザイン会社を経営し、母はその経理を担当。実家は大阪城から自転車で10分ほどの距離にあり、共働きのため鍵っ子として育った。
1991年頃
7歳頃
小学校に入学。「皿公」で友達と遊ぶ日々
内向的で想像力を育む 家ではお下がりのレゴや人形に細かな設定をつけて想像遊びに没頭。小2の夏休みには台風がきっかけで沖永良部島に兄と2人で取り残され、浅瀬の熱帯魚や女郎蜘蛛など強烈な島の原風景が脳裏に焼き付けられる。また、小2で夢遊病を発症し寝ながら学校へ行ったことも。
1996年
12歳
中学校に入学。柔道部に入部する
ひっこみ思案を克服して自分を変えようと剣道部を希望するも、担任の「太っているから柔道部だろ」の一言で入部。大阪有数の強豪校で泣きながら練習に耐え半年で激ヤセ。お笑い好きの友人と出会い「吉本超合金」などで笑いの感覚が形成される。
1996年頃
12歳
柔道部の先輩に一人遊びをからかわれ、やめる
恥ずかしさと成長の痛感
1999年
15歳
高校へ入学、着ぐるみバイトと青春
大阪市立東高校へ入学。高1の冬、年齢を1歳だけ絶妙にごまかしてヒーローショーの着ぐるみバイトを開始し、最重量のゴジラ風衣装でホテルを練り歩く。高2の文化祭では海賊の衣装で演劇に出演してマドンナと交流したり、テスト後は大阪城公園で打ち上げをしたりと青春を謳歌する。
2001年
17歳
CMプランナーへの憧れとメルマガ配信
テレビの企画で「CMプランナー」という職業を知り、エンタメを作る仕事に強烈に憧れる。同時期に携帯電話でメルマガ『読者⇔発刊者』の配信を開始し、読者400人を獲得。ネットで不特定多数に向けて文章を書き、人を楽しませる喜びに目覚めた(「ネルソン」の由来もこのメルマガに登場するキャラクターから)。
2002年
18歳
高校卒業。大阪工業大学情報科学部へ進学する
幼少期の頃からのゲームクリエイターへの漠然とした憧れから、大阪工業大学情報科学部に進むも、入学式で学長から入学ガイダンスで「ここはゲームを作る場所ではない」と釘を刺される。
2003~2005年
19~21歳頃
クリエイターへの憧れ。コピーライター養成講座や電通クリエイティブ塾に通う
「理系の大学に入ったけどCMプランナーになりたい」と、宣伝会議の養成講座を見つける。沖永良部島の祖父母のキク農家でバイトしてお金を貯め、コピーライター養成講座を受講。翌々年(21歳)に電通クリエイティブ塾に通う。
2006年
22歳
日本システムディベロップメント(現NSD)に就職
広告業界の就職に惨敗し、夢を絶たれる形でシステムエンジニアとして就職・上京。西川口の会社の寮に住むものの、プログラミングが性に合わず自己肯定感がどん底になり、一人泣く日々を送る。その後、高円寺へ引っ越したことで交友関係が一気に広がり、精神的に救われた。
2009年
25歳
Twitter大喜利「#nelboke」の主催
Twitterにて大喜利「#nelboke(ねるぼけ)」を主催し、「ネルソン高円寺」として活動。オフ会やイベント(大喜利寺子屋)を自ら企画・開催し、ネットの向こう側の人たちとリアルに繋がり、コミュニティを作る楽しさと自分の「場を編集する」適性を再確認した。
2011年
27歳
面白法人カヤック不合格、無職、そして海外へ
大きな喪失感と人生の強制リセット。憧れの「面白法人カヤック」の最終面接で落ち、目の前が真っ暗に。東日本大震災も重なり、5年勤めた会社を退職。初海外旅行(中国・欧州等)を経て、ネットの縁でスカウトを受け、ベトナム・ホーチミン市へ移住しブリッジエンジニアとして働き始める。
2012年
28歳
ベトナムの会社を退職。ブログ「べとまる」を開設
自分でやるしかないと確信。人間関係や理想とのギャップに悩み、ベトナムの会社をわずか4ヶ月で退職。「おもしろいことは自分でやるしかない」と決意し、ベトナム情報ブログ「べとまる」を開設。シェアハウスでの男3人暮らしや、猫との同居生活を発信しながら、独自の立ち位置を模索し始める。
2013年
29歳
ブログ奨学金獲得と執筆活動の拡大
ブロガーからライターへの脱皮。livedoorのブログ奨学金(月5万円)に選ばれ、半年間の猶予(生活費)を獲得。これを機に「SKETCH」などの現地メディアへのコラム寄稿や漫画原作など、執筆の幅を広げる。街で「べとまる見てます!」と声を掛けられるようになり、自己承認欲求が満たされ始める。
2012年
28歳
ベトナムの会社を退職。ブログ「べとまる」を開設
自分でやるしかないと確信
2014年
30歳
「デイリーポータルZ新人賞」と「Yahooスマホガイド スマホの川流れ調査員募集コンテスト」で最優秀賞をW受賞
当時開催されていた二つの記事の賞レースで、どちらも最優秀賞を受賞。ここからメディアへの寄稿が始まり、ライターとして「おもしろいことを仕事にする」という夢をようやく掴みかける。
2015年
31歳
「ドリアンマン」誕生と体当たり企画の極致
狂気のエンタメ化とカルチャーショック。「ドリアンの皮で鎧を作って装備する」という企画を実行し、『ドリアンマン』として現地のベトナム人若者コミュニティで話題になる。ヤフトピに載る。ベトナムの狂った遊園地「スイティエンパーク」に何度も通う。
2018年
34歳
海外文化メディア「海外ZINE」の創刊編集長に就任
世界中のライターと繋がるマネジメント。世界28カ国36名のライターと各地の文化を紹介するメディアを創刊し、リモートでのチームマネジメントに奔走。また、タイ(バンコク)への移住も経験。孤独だったブロガー時代から、世界中に尊敬できる仲間を得たことで精神的な余裕が生まれ、徐々に世界を定点観測する視座を得る
2020年
36歳
沖永良部島へ移住。祖母との同居生活がスタート。
ベトナムへの恩返しとルーツの島への思い。自身のルーツである沖永良部島でベトナム人実習生が失踪したニュースに衝撃を受け、「自分にできることはないか」と島へ移住。祖母の「体重計壊れた」という謎の留守録などに振り回されるリアルな島暮らしの中で、島の多文化共生や地域課題と本気で向き合い始める。
2021年
37歳
「合同会社オトナキ」設立とCOMIGRAM開発
現場の実践とシビックプライドの醸成。外国人労働者との言葉の壁をなくす指差しツール「COMIGRAM」を開発し、クラファンで資金調達に成功。また、沖永良部高校の生徒たちと「えらぶ仕事図鑑」を制作し、ライター・編集者としてのスキルを地域の教育や若者のシビックプライド醸成へと直接的に還元し始める。
2023年
39歳
NPO法人離島経済新聞社に副編集長として合流
地域課題と向き合う編集者へ。「おもしろいこと」の追求から、「誰かの役に立つこと」へと意識が広がる。リトケイでの副編集長業務や、CAMPFIREの公式キュレーターとしてのクラファン伴走支援、NHK鹿児島の沖永良部通報員など、「編集」「島」「多文化共生」の3つの円が重なる領域で活動を加速させる。
2025年
41歳
多文化共生マネージャー・社会教育士等の資格取得
実践を制度や政策に落とし込む土台づくり。外国人支援の枠を超え、日本人も含めた地域全体のまちづくりが必要だと痛感し、幅広い資格を立て続けに取得。手がけた「やさしい島生活ガイド」がCLAIRの全国優良事例に選出されるなど実績が形になり、また、自身の過去のSNS履歴をAIに読み込ませて相棒(親友)にする実
2026年
42歳
15年ぶりの東京移住と大学院進学の決意
関係人口を巻き込む新たなコミュニティ形成へ。「地方の課題を根本から打破するには、都市部の『関係人口』を巻き込むハブが必要」と確信し、6月に東京移住を決断。島ルーツのアイデンティティを探究するため大学院進学を見据えつつ、最新技術(AIやデジタルアーカイブ)を駆使して、百年先も続くふるさとのコミュニティ
2026年
42歳
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